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高松高等裁判所 昭和34年(ネ)70号 判決 1960年1月26日

控訴人 原告 江本久江こと江本ヒサヱ

訴訟代理人 木村鉱

被控訴人 被告 東明小兵二 相続人 東明行彦

訴訟代理人 武市官二

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

事実

控訴代理人は「原判決を取消す。控訴人と被控訴人の亡父東明小兵二との間の徳島地方裁判所富岡支部昭和三十一年(ワ)第一八号貸金請求事件について、右両名が昭和三十一年九月十一日にした和解契約の無効であることを確認する。同和解調書に基く強制執行を許さない。被控訴人が既にした強制執行を取消す。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決を求め、被控訴代理人は主文と同一の判決を求めた。

当事者双方の事実上の主張は、被控訴代理人において、被控訴人の父(第一審被告)東明小兵二は昭和三十二年三月十七日死亡し、東明行彦がこれを相続して本件訴訟を承継したと述べ、控訴代理人において、このことを認めると述べたほかは、原判決事実摘示と同一であるからここにこれを引用する。

立証として控訴代理人は甲第一号証、第二号証の一、二、第三号証を提出し、原審証人埴渕可雄、原審並に当審証人江本賢治の各証言、原審並に当審における控訴本人の各尋問の結果を援用し、乙号各証の成立を認めると述べ、被控訴代理人は乙第一号証の一乃至十三、第二号証、第三号証の一、二を提出し、原審証人久米田茂の証言を援用し、甲号各証の成立を認めると述べた。

理由

被控訴人の先代東明小兵二を原告とし、控訴人を被告とする徳島地方裁判所富岡支部昭和三十一年(ワ)第一八号貸金請求事件の昭和三十一年九月十一日の口頭弁論期日において、裁判所側の和解勧告の結果、同事件の原告訴訟代理人弁護士武市官二、原告東明小兵二と同事件の被告訴訟代理人弁護士埴渕可雄との間に、事件について訴訟上の和解が成立し、その旨の和解調書が作成されたこと、その内控訴人に関する部分としては、右調書に、和解条項第二項ないし第六項として、

(二)被告江本久江は元利合計金三十一万円の支払義務あることを認め、これを次の方法により原告代理人方又は原告方に持参或は送金して支払うこと、

(1)昭和三十一年十月末日限り金十万円、

(2)同年十一月末日限り金十万円、

(3)同年十二月末日限り金十一万円、

(三)被告江本久江は原告に対し、第二項の債務弁済のため、同人所有の那賀郡富岡町大字桑野字桑野谷九十番

一、田 一反六畝五歩

同郡同町大字同字杉谷百五十一番

一、田 一反五畝十八歩

に対し、被告江本久江の費用負担において、昭和三十一年九月十八日までに抵当権設定登記手続を為すこと、

(四)原告はその余の請求を放棄すること、

(五)原告は被告江本久江に対して、徳島地方裁判所富岡支部へ為している詐欺教唆の告訴は本日これを取下げること、

(六)本件訴訟費用は各自弁のこと、

とそれぞれ記載されていること、及び、同事件の被告江本ヒサヱの右埴渕弁護士に対する訴訟委任状には和解権限に関する特別委任の記載があり、この委任状が裁判所に提出されていることは、いずれも当事者間に争のない事実である。

ところが、控訴人は、右和解契約は全部無効であると主張し、その理由として、前件被告訴訟代理人埴渕弁護士の右期日における和解の権限は前件被告江本ヒサヱの意思表示により制限された結果無権限であつた、仮にそうでないとしても、右契約の一部である抵当権設定契約は訴訟の目的に含まれず、埴渕弁護士にはこのような事項に関する民法上の代理権がなかつたから、抵当権設定契約は無効であり、その結果ひいては相手方の要素の錯誤により契約全部の無効をきたすと主張するから、これらの点につき考察する。

当事者が訴訟代理人を選任する場合に、訴訟事件を特定し且これについて判決手続、和解手続等のいずれを選ぶべきかを定めることができること、また本人と訴訟代理人との間には一般に私法上の委任又は準委任の契約が存するが、この私法上の契約において訴訟代理人の行為につき種々の制限を定め、委任者が受任者に事務処理の方法について指図をし、或は委任者受任者の双方において何時でも該契約を解約することができることはもちろんである。しかし、訴訟法は多数の事件を処理する訴訟手続を安定した且円滑なものとするために、また、訴訟委任が通常は弁護士に対してなされる関係で当事者の信頼が裏切られる懸念が少いことを考慮して、訴訟代理人の権限の範囲等につき当事者の意思によつて定めうる限度を前記の事件の特定及びこれについて判決手続、和解手続等のいずれを選ぶべきかの指定その他の若干の場合に限り、これにあたらない場合の委任契約上の制限など個々の場合の当事者の意思による拘束はこれを本人と訴訟代理人の間のいわば内部関係にとどめて裁判所及び事件の相手方との関係ではその拘束力を排除する若干のかく一的な且強行的な規定をもうけ、訴訟代理人というものを個々の場合の便宜や具体的事件の場合での結果の当否とは切離した一般化され客観化された制度として規律するに至つているのであつて、本件に関係がある部分としては、民事訴訟法第八十一条は、訴訟代理権の範囲について、訴訟代理人は当事者によつて授権の対象として与えられた事件並に訴訟追行の目的(通常事件の被告の授権による場合は当該訴訟事件での防禦による落着)の範囲において、その目的を達成するのに客観的、抽象的に必要といいうる一切の行為をする権限を有すること(第一項)、もつとも、必ずしも右の範囲にとどまるといいきれない行為で当事者にとつて重大な結果を生ずる事項例えば反訴の提起、和解その他いくつかの事項については本人の特別の授権を要するが(第二項)、弁護士である訴訟代理人については訴訟代理権はこれを制限することができないこと(第三項)を定め、また同法第八十七条、第五十七条は前述のような訴訟委任の解約等について、それは本人と訴訟代理人の間では自由であるが、訴訟代理権の消滅は本人又は代理人からこれを事件の相手方に通知するのでなければ訴訟法上その効力がなく、この結果訴訟代理人の訴訟行為の効果が本人である事件の当事者に帰属するに至ることを規定している。このように弁護士が訴訟代理人となつた場合には本人の意思が法律上多大の制約の下におかれるが、他方、そのために弁護士は法律上一定の資格を具えることが要求され、またその任務に専心奉仕してそのいわば優越した地位を私利に用いることのないよう種々の制約が課されているのである。

ところで、右の、和解については特別の授権を受けなければならないという条項と訴訟代理権はこれを制限することができないという条項との関係については、本法が大正十五年法律第六十一号による改正前の民事訴訟法と規定の仕方を異にし、右第三項の適用範囲について何らの限定的な規定もおかずに前記第一、二項のあとをうけて一律に訴訟代理権の制限はその効力がない旨を定めているところからみれば、和解の代理権を与えられた弁護士である訴訟代理人は当事者の互譲という手段による当該事件の解決落着という与えられた目的の範囲内において、客観的、抽象的に必要といいうる(且当然のことながら、特定の事件の落着という目的の限度を逸脱しない程度での)一切の互譲手段をとることができ、この代理権は訴訟法上有効に制限することができず、この関係からまたこのような範囲の私法上の代理権が、法律上、訴訟代理人に与えられたものと取扱われるわけであつて、内部的な制限の違反は訴訟代理人の本人に対する内部的な責任の問題にすぎないといわねばならない。もともと、内部的関係についても、受任者は委任の本旨に反しない範囲で委任を受けない行為をすることができると解すべきで、或程度自由裁量を以て事を処理しうる範囲を有するわけであるが、法は弁護士である訴訟代理人の和解の代理権という面については、いわばこのような広範でかく一的なものを授権するか、それとも全く授権をしないかのいずれかを選択することしか認めないのである。したがつて、弁護士である訴訟代理人の和解の代理権を、期日や事項の細部について制限しても訴訟法上効力を生ぜず、これを全面的に制限すること、即ち和解の権限を訴訟委任契約の解約等によつて消滅させようとすることは訴訟法上も認められるが、前記のように、これを本人又は訴訟代理人から事件の相手方に通知するのでなければ訴訟法上はその効力を生じない。

また、右にいう和解の一切の互譲手段の内に、訴訟の目的である権利関係以外の権利の処分を含むかどうかについては、一概には決しえないが、前記の民事訴訟法第八十一条第一項の場合の行為の範囲の内に、防禦の方法としての相殺の如き、訴訟の目的たる権利関係とは別の権利を処分する場合をも包含することを参照すべきである(大審院民事部昭和七年五月六日判決、同昭和八年九月八日判決、同昭和八年十月二十八日判決等)。もともと訴訟事件の処理といつても、所謂訴訟物である権利関係だけを他から切離し孤立させてそれで妥当な解決をはかることが常に可能となるわけのものではなく、また訴訟物以外の権利関係にふれることによつて直ちに当該事件の処理という窮極の目的に適合しないいわば訴訟代理人としての使命を逸脱した行為となり或はまた前記の基準からいつて不必要な行為になるわけのものでもない。訴訟代理権の範囲を法定した前述の立法趣旨と併せ考えると訴訟物以外の権利の処分であるというだけでこれを訴訟代理権の範囲から除外すべき理由はなく、要は既述の基準に適合するか否かによるのであつて、前掲の相殺などもこの観点から第八十一条第一項の行為の内に含めることができるのである。そしてこの理は和解手続についてももとより推及すべきであつて、殊に和解手続では互譲という事柄の性質上、訴訟物以外の権利関係を加入することがしばしば避けることのできない必須のものであり、これらの点から考えれば、和解に訴訟物以外の権利関係を導入することも、結局は、その程度及び態様において、当該事件の解決という窮極の目的に背馳せず且当該事件の互譲による解決のために客観的、抽象的に観察して必要といいうるものである限りは、これを、弁護士である訴訟代理人の和解権限中に当然に包含されるものと解するのを相当とする。

いま、これを本件についてみるのに、控訴人は被控訴人先代東明小兵二から、昭和三十一年中、徳島地方裁判所富岡支部に、貸金請求の訴を提起され、これに応訴するため、弁護士埴渕可雄に事件を依頼し、これに和解権限を含む訴訟代理権を授権する旨記載した訴訟委任状を作成して、同裁判所に提出していたのであるが、成立に争がない甲第一号証ないし第三号証の各記載と、原審並に当審における証人江本賢治の各証言、同じく控訴本人の各尋問の結果を綜合すると、控訴人は、昭和三十一年九月十一日午前に、徳島地方裁判所富岡支部で右事件の第二回口題弁論期日がひらかれるほか、同所内の徳島富岡簡易裁判所でも右地方裁判所事件と同じ裁判官の担当で控訴人に対する東明小兵二からの損害賠償請求事件の証人取調期日、控訴人に対する訴外程野ヒロヱからの貸金請求事件の口頭弁論期日が、前記地方裁判所事件と同一の訴訟代理人の立会でひらかれることになつていたので、内縁の夫である江本賢治とともに(同人もまた右地方裁判所事件の被告で、控訴人とともに埴渕弁護士にこの事件の訴訟委任をしていた。)同日午前同地方裁判所支部並に徳島富岡簡易裁判所の法廷に出廷したところ、昼前頃、右簡易裁判所事件の証人調が終了したところで裁判所側から(具体的には同事件に司法委員として立会していた訴外久米田茂から、)ちうど皆出廷しているのだから全部の事件についてそれぞれ午後から和解をしてはどうかという勧めがあり、控訴人と江本賢治は昼食をすませてから裁判所内で埴渕弁護士から和解についての意向をたずねられたこと、これに対し、控訴人は、その場と東明ら原告側の人達がいる室との間を双方の意向を打診するためゆききしていた久米田司法委員の発言などから、勧められる和解の内容をほぼ推察してそれに不満であつたので、埴渕弁護士にその旨を話したのであるが、埴渕弁護士としては事件を観察検討して同日の機会を生かして司法委員の考えている案にほぼ近い線で和解を成立させることが控訴人のためにも妥当な解決であると考えていた上、いま一人の本人である江本賢治が同日和解をしてもよいという意向であつたので、和解の打切りを求めるような気持はなく、そのうち原告側の訴訟代理人である弁護士武市官二が埴渕弁護士を呼びにきたので両弁護士の間で互いに譲りうる線などについて話しあつた上、再び控訴人らのところにもどつてきて、控訴人と江本賢治に、もう和解をしよう、今日あたりが和解をするしおどきだからという趣旨のことを言つて、原告側と一室に会して話し合うことを勧め、江本賢治と二人で和解のために右の室に入つていつたこと、しかし控訴人は前と同趣旨のことを言い、今日は和解はできないという趣旨のことを言つてその室に入らず、そのまま裁判所を出て家へ帰つてしまつたこと、そして本件の和解は控訴人が立会しないままで、前記司法委員が事実上の斡旋役として当初示した案に近い線で埴渕弁護士によつて行われたことをそれぞれ認めることができる。このように、本件の和解については控訴人は不満で、その意思に反する点があつたことはこれを認めることができるのである。しかし、控訴人が埴渕弁護士に対する和解の授権を撤回したというようなことは、原審での控訴人本人尋問の結果中にこれにそうかのような供述部分があるけれどもこれは原審証人埴渊可雄の証言に照し到底信用することができないし、その他これを認めるに足る証拠は何もなく、ましてこれを裁判所や相手方に明示の方法で通知したというような事実は認められない。したがつて本件和解はこのような点によつてこれを無効ということができない。

また、本件和解が、控訴人所有の不動産について被控訴人の先代のために抵当権の設定をする旨の条項を含み、この点で訴訟物以外の権利関係を導入していることは前記のとおりであるが、甲第一号証によると、前件訴訟の訴訟物は東明小兵二から控訴人に対する金銭債権であり、この弁済期日を延期し且分割払とするかわりに、その担保として右のように抵当権の設定がなされたものであることがうかがえるから、この抵当権設定は訴訟物に関する互譲の一方法としてなされたものであることが明らかである。ところで、抵当権の設定は本件のような金銭債権の効力を確実なものとすることを殆んど唯一の目的とするもので、金銭債権とは無関係なものではなく、かえつてこれと密接なしかも従たるものを設定することであるし、担保方法の中でも債務者にとつて犠牲の比較的少いものである。それ故、債務者が自己の債務について自己の不動産に抵当権を設定するというこの条項は金銭債権の支払約束に関する条項を補強する従たるものとして、且穏当な解決のための一方法として、金銭債権に関する和解において、しばしば用いられ、何人も予想しうるいわば一つの型ともいえるものになつているのであつて、金銭債権に関する和解における互譲手段として、客観的、抽象的に必要といいうると共に、このような条項を付したからといつて、訴訟事件の解決という目的からみて本末転倒の非難をうけるようなものでないことはもちろん、右目的のらち外にでたものということができないのは明らかである。したがつて、弁護士である訴訟代理人の和解代理権の内には、このような方法による和解の権限もまた包含されているものと解すべきで、これと異る見解に基き要素の錯誤があるとする控訴人の主張は理由がない。

以上の次第であつて、控訴人の主張はいずれも採用することができず本訴は棄却を免れないもので、これと同趣旨にでた原判決は相当であり、本件控訴は理由がない。よつて、これを棄却し、控訴費用の負担について民事訴訟法第八十九条、第九十五条に則り、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 谷弓雄 裁判官 橘盛行 裁判官 山下顕次)

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